痛い思いをしないと学習しない

とつくづく思う

スノーボードだって実際にケツうってあざになったり、膝をボックスにぶつけて流血したりとかしないとプロテクターをつけようなんて思わない。

人からいくら言われたって自分自身が痛い思いしないと分からないんだよねー、ほんと

オレもさんざん痛い思いしてきたから、膝・肘・ケツはパッドで守ってる。

ホントは全身つけたいぐらいだけど、そうなると身動き出来なくなるしね





全柔連の問題もそうだけど問題が表沙汰にならない限りは現状を維持しようという保守力がはたらく

マスコミから叩かれ、世間からパッシングを受けて嫌な思いをして初めて反省する



だからといって子供を叩いて指導するとか、そういう体罰を正当化する意見には賛成できない

親から体罰を受けた子供は、自分が親になり子供をもったときに必ず体罰を与えるというが、同様に教え子に体罰を与える指導者も自分が体罰を受けてきたんだろうな。

体罰を受けた自分を否定したくないという気持ちが潜在意識の中にあって、無意識に体罰を正当化してるんだろう


かえるの子はかえる

瓜の蔓に茄子はならぬ




逆に考えると指導者に恵まれたヒトは幸せだね

でも、良い指導者なんてホントに稀だから結局は自衛が大事





教育や指導っていうのは人間をつくることそのものなんだろうな

実際に指導してるヒトにどれだけその自覚があるかは疑問だけど